いつもときめいてる人になりたいな。
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『ゼロ・グラビティ』の深い意味

ゼロ・グラビティ』を観に、IMAXシアターのある川崎まで行って来ました。この映画は宇宙空間を3D映像で表現したもので、どうしてもそのリアリティを体感したくてIMAXシアターを目指したのでした。もう何十年前になるか忘れてしまいましたが、『2001年宇宙の旅』を観るために、当時東銀座にあった日本一の70ミリシアターに行ったことを思い出しました。

原題の“GRAVITY”の意味は「重力」です。日本語タイトルの『ゼロ・グラビティ』は「無重力」ですから、ちょうど反対になっています。「無重力」と言うと、宇宙空間の話に限定されてしまいますが、原題の「重力“GRAVITY”」には、「無重力」という意味だけでなく、ラストの地球への帰還というきっと両方の意味が含まれているのでしょう。

お話は、宇宙空間で起こった絶体絶命のピンチからいかにして生還するかというシンプルなものです。メイキング映像で、監督自身が語っているように、これには「人生の困難をいかに克服するか」という暗喩が込められていることは明らかです。それを表現するために、アルフォンソ・キュアロン監督は、頼れるものなど殆どない極限の場を設定し、それを圧倒的なリアリティで視覚にダイレクトに訴えられないかと考えたに違いありません。

スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』も、まさにそういう映画でした。当時はコンピュータ技術などはなく、すべてが光学的な処理を使い特撮が作られていたわけですが、やはり映像は圧倒的で、私はその意図をすぐに理解しました。「これは映画ではない。宇宙を旅したドキュメンタリーだ」と、当時の私は理解しました。

さて、『2001年宇宙の旅』は、ラストに描かれたあるシーンを巡って「難解」だという評価がされてきました。宇宙船ディスカバリー号に搭載された人工知能のHALが反乱を起こし、乗組員は次々に死亡。唯一生き残ったボーマン船長はHALの思考を停止させると、ついに単独で宇宙探査の目的であった巨大なモノリスに遭遇します。すると、まばゆいトンネル状の光りに導かれて、スターチャイルドへと変身を遂げてしまうというものです。

アルフォンソ・キュアロン監督が、このストーリーにオマージュを捧げていたことはおそらく間違いないでしょう。それは、やはり唯一の生き残りとなったライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)が、ソユーズの船内に避難した際に、「胎児」の形をとる映像が長めの秒数で加えられているのを見れば解ります。これは、子宮の胎内に戻ったことを象徴しています。

そう、『2001年宇宙の旅』に出て来るあの「胎児」と同じです。

そして、それからがもっと象徴的です。一時的な脱出用ポッドとして乗り組んだソユーズが向かった先はどこか? 中国の宇宙ステーションであるところの、その名もズバリ「天宮」です。この時、燃料切れを知って絶望するライアンに、起死回生のアイデアを授けるのが、自己を犠牲にすることでライアンを助けようとした同僚のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の幻でした。

彼女はそこで、マットを通じて天啓を受け取るのです。そして希望を取り戻し、「神舟」(つまり神の舟)に乗ることによって、緑の大地である地球に生還を果たします。ラストでは、まるで羊水のような湖底から、アンダーウェアしか着けていない、赤子のような形で力強く地上に再生するのです。

ここに、『2001年宇宙の旅』が示したテーマと同じものが読み取れます。『ゼロ・グラビティ』は、毎日の困難をいかに克服するかという日常生活に対する暗喩とともに、その裏にもっと深い暗喩、つまり「宇宙は一つ」ということ、全部がつながっているという大テーマを秘めています。マットは決して幻ではなく、死んだあとも生きているのです。
田中泯さんの「マイナー論」
『気づきの啓示板』ブログの11月19に、田中泯さんが出られていた番組、『人を動かす絵 田中泯 画家ベーコンを踊る』のことをちょっと書きました。この番組の中で、泯さんがポロリと語った「マイナー論」には、大いに刺激を受けました。

「マイナー」が何かということについては、ズバリの発言はなかったのですが、「人はマイナーを、メジャーへのステップのように考えているがそうではない」と、強く言い切った言葉が印象的で、背後に確固とした「マイナー論」があることがうかがわれました。(言葉の記述は正確ではありません)

たそがれ清兵衛』で一躍脚光を浴び、最近ではNHKの時代劇などにも出演されている泯さんですが、本業(?)の方の舞踏は、明らかにマイナーです。私が10代から20代だった頃は、泯さんの師匠筋にあたる土方巽さんの暗黒舞踏麿赤兒さんの大駱駝艦は、むしろ今よりもっとメディアへの露出が多かったくらいです。(時代が、ヒッピーカルチャー全盛でしたからね)

さて、この『画家ベーコンを踊る』という番組の中で、泯さんはフランシス・ベーコンの絵画作品を所蔵するイギリスの美術館まで、原画を観に出掛けます。そこで「磔刑像の下の人物のための3つの習作」という三幅対(Triptych)を観るのですが、これには1944年版と1988年版の二つがあるのです。

 
上が1944年版 下が1988年版

泯さんはこの両方を見て、「明らかに1944年版の方が上」と意を強くしたように(自論を正に確認したように)言うんですね。1944年版はフランシス・ベーコンがまだ誰にも評価されていない時代に書いたもの。ところが44年後の1988年にもう一度同じ題材で描いたときには、ベーコンの評価が定まっていたんです。

すると、時代が求めるベーコン評価に、ベーコン自身が合わせるようになってしまったと、眠さんは批判するのです。これは確かに両方を比べてみると、歴然とした違いがあります。後から描かれたものには、叫びのようなエネルギーが感じられません。リビングに飾っておいたら「ああ、ベーコンね」という単なる記号になってしまったというか‥‥。

結局、田中泯さんが言われる「マイナー」というのは、自分の内なる叫びにどこまで忠実かということを仰っている気がしました。

●参考
土方巽さんとベーコンとの関係を知る上で興味深いビデオ
『若冲が来てくれました』に行って来ました。


『若冲が来てくれましたーープライスコレクション江戸絵画の美と生命』を観に、福島県立美術館へ行って来ました。この展覧会はアメリカ人の蒐集家ジョー・プライスさん、悦子さん夫妻が、東日本大震災の報に衝撃を受け、日本の優れた美術品を里帰りさせることで、東北の人々を慰め元気にしたいということから開催されたものです。

その主旨もさることながら、若冲コレクションの見事さが評判を呼んで、福島県立美術館は開館以来の入場者記録を更新しているそうです。私が行ったときにも、小学生から年配まで、たくさんの人々が押し掛けていました。

感心したのは展示品のタイトルの付け方です。小学生にも解るようにと、平易な現代語タイトルが付けられていました。たとえば『鳥獣花木図屏風』には『花も木も動物もみんな生きている』というタイトルが。『達磨遊女異装図』は『<だるま>さんと<ゆうじょ>が着物をとりかえっこ』といったふうに。

私も日本美術に関心を持ったころ、いささか抵抗感を感じたのが、この漢字ばっかりの作品名です。ふりがながなければどう読んでいいか解らないし、何を意味しているのかもピンと来ない。ところが馴れて来ると、読めるようになるのはいいのですが最初の抵抗感を忘れてしまうのです。

そこで、いっぱしの解ったようなつもりになる。スノビズムの世界です。これはよくありませんね。今回の展示ではそれが払拭されていたのが先ずよかった。それに美術には本来言葉がないわけですから、小学生だって素晴らしい作品にはやはり感動すると思うんですよ。

さて、今回私が福島まで行って観たかったのは、やはり『鳥獣花木図屏風』です。この奇想天外な絵の現物をぜひ観てみたかった。現物が日本にない以上、この先いつ観られるかも解らない。このチャンスを逃してなるものか、と思いました。(ところがいま知ったのですが、静岡県立美術館にこれとよく似た『樹花鳥獣図屏風』という作品があるんですね)

若冲ファンならよくご存知でしょう。『鳥獣花木図屏風』は、「枡目描き」という手法で描かれた作品です。この「枡目描き」が、どうして生まれたかに非常に関心がありました。
研究者の間では、これは西陣の下絵(正絵)の手法に習ったものという説が有力だと言うのですが、ネットで調べても「正絵」がどういうものかよく解りませんでした。

「枡目描き」を初めて見たとき、私は単純に、これは「モザイクタイル」を表現したものだと思ったのです。今回実物を観て、やっぱり私には「モザイクタイル」に見えました。

「枡目描き」は、舛の中に舛が描かれているのですが、その描き方が一様ではありません。四角い舛を何重にも描いたものもあれば、四つ描いたもの、丸を描いたものまである。キラ(雲母)を使ったものもあります。これはどうしてだろうと思ったわけです。

これはタイルの立体表現なのではないでしょうか? 屏風を拡げて中心に立ったとき、真ん前に見えるものと端っことではタイルのテカリが違います。そのテカリを多様な表現で描き分けたのではないでしょうか? それに右隻の白象は、いかにもお風呂場のタイルの目地がくすんだような感じに描かれています。

周囲のボーダー模様は、ペルシャ絨毯のパターンを模したものだということは解っています。だとすれば、若冲はモスク建築に見られるモザイクタイルもどこかで同時に見ていたのではないでしょうか? 当時まだ写真はありませんから、博覧会のようなものでタイル画を見たのかも知れません。動物もしかりです。

若冲は様々な描画技法に挑戦した人ですから、モザイクタイルを見て、俄然チャレンジ精神が湧いたとしても不思議ではありません。タイルで絵を描くという方法をもう一回ひねって、タイル画を絵にしてみようと思ったのではないでしょうか? それに当時の一般庶民がまだ見たこともない動物+ペルシャのタイル画というダブル趣向は、見せ物の仕掛けとして非常に魅力的だったことは想像に難くありません。

●公式ホームページ
現代スペイン・リアリズムの巨匠『アントニオ・ロペス展』

Bunkamura ザ・ミュージアムに、現代スペイン・リアリズムの巨匠『アントニオ・ロペス展』を観に行ってきました。
いやぁーよかったです。圧倒されました。
アントニオ・ロペスという人は知りませんでしたが、駅貼りのポスターを見て俄然興味が沸き、出掛けました。

一応リアリズムの巨匠と付いているのですが、この人の絵を見ると「リアリズム」とは何かということを考えさせられます。
筆致はそれほど細かくはありません。私の大好きな若冲などは超細密画の技法で対象物をとことん描きながら、逆に別の世界を作り上げています。
ところがロペスは、細かく描いているわけではないのに、そのリアルさがバンバン伝わって来ます。

いったいロペスは何を描いているのでしょうか? 私はそこに「スピリット」が描かれているのを感じました。都市には都市のスピリット、人物には人物のスピリット、植物には植物のスピリットが、絵をじっと見つめていると画面から滲み出て来る。確かにそこに居るのです。描かれていない筈の「スピリット」が。

これはロペスが「光」を画面に描いているからだと思います。若冲は輪郭を描きました。だから細密に描くほどファンタジーになる。ところがロペスは「光」を描いていく。「光」を定着させていった結果、筆致は粗いけれども、圧倒的なリアリズムがそこにあり、目に見えない「スピリット」まで描き込まれている感じがしてくるのです。

帰りに図録を買って帰りましたが、図録からは「スピリット」まで感じることはできませんでした。
ですから、やはり Bunkamura まで足を運んで観ていただきたいと思います。
彫刻作品も素晴らしいです。そこに確実にサムシングが居るのが伝わって来ます。
すずきすずよ作品展


友人の人形作家、すずきすずよさんの猫人形展を観に行って来ました。
今回はこの少年がメイン。いやぁ、いつ見ても凄いです。
自分を猫だと思っている、あるいは猫になりたい少年かな?

ボクは猫で猫は僕だ
〜2月27日(水曜)まで
12:00〜20:00
松田優作と尾崎豊 〜『ヒーローたちの壮絶人生』

去年の11月の半ば、NHK BSプレミアムで『ヒーローたちの壮絶人生』という番組があり、そのことを書こう書こうと思いながら延び延びになってしまいました。

番組は、若くして亡くなった松田優作さんと尾崎豊さんの足跡を2日連続で辿るものでした。
番組の制作者がなぜこの二人にスポットを当てたのかのかは解りません。『ヒーローたちの壮絶人生』というタイトルからすると、シリーズ化を目論んでいるようにも感じられるのですが、なぜかこの二人だけだったのです。

でも二人を比較して見たとき、私にとってはとても興味深い発見がありました。
それはカルマについてです。
<カルマと聴いて、鼻白(はなじら)んだ人はどうぞスルーをしてくださいな。以下、私の勝手な解釈と妄想と受け取ってください。>

表現者というものは、たいてい強いカルマを持っているものです。この内なる葛藤の激しさが、いざ表現となって外に出たときに、しばしば素晴らしい輝きに転化する。その輝きは、カルマが強ければ強いほど、常人を超えた才能を見せる。松田優作さんと尾崎豊さんは、その典型例であったように思うのです。

松田優作さんは機能不全家庭で育ちました。親の愛、家族愛というものから縁遠い少年時代を歩んだ。それが青年期になり、暴力的なコミュニケーションを当たり前のように思う性格を形成したと思います。この時点では、典型的な機能不全家庭の連鎖です。

一方の尾崎豊さんは、時代のスキマに出現した少年の、純粋な叫びだったと思うのです。尾崎豊さんが活躍した80年代後半はまさにバブルの絶頂期。その右肩上がりの世の中に、なにか着いていけない、大人たちがやってることはどうも嘘くさい、そう感じた魂が反抗心として炸裂したのだと思います。

高校時代、尾崎豊さんの同級生だったという人が語った次のエピソードは、その辺を知る上でとても興味深いものです。ある時、尾崎豊さんがその同級生にこう問いを投げかけたそうです。
「自由の反対が何か、知ってるか?」

さあ、あなたなら何と答えます? ここで尾崎豊さんは意表を突く言葉を発し、同級生を驚かせたと言います。
「支配なんだよ」
うーん、凄い。『卒業』の中の歌詞、「この支配からの卒業」は、ここから出発しているんですね。


ところが、その支配に反抗する歌を歌うことで、同年代に絶大な人気を誇った尾崎豊さんには、皮肉なことに一つの爆弾があったのです。自分が歳をとって行くという時限爆弾です。10代の反抗を歌った人が、20代になったらどうなるのか? 20代の反抗を歌うのか? それとも別の境地に変化していくのか? さらに30代になったらどうなるのか?

これがとうとう定まらなかった。
私は40代になった尾崎豊さんを見てみたかったです。しかし30代・40代になって、10代のときに作った歌を、懐メロのようにして歌うわけにはいきません。それでは自分への裏切りになってしまいます。

大人への反抗で突っ走ってきた自分が、大人になってしまうことの矛盾と葛藤。たぶん尾崎豊さんはそれに堪え切れなかった。それを克服することができなかったんだと思います。
あまりにも10代の歌が純粋性に満ちていて素晴らしかったために。

でも、エリック・クラプトンのようになる道もあったんだと思うんですよね。それをして欲しかったです。

一方の松田優作さんですが、美由紀さんの証言によれば、結婚して子供を持つようになってから「優作は変わった」と。それまでの自分本位で粗暴な優作ではなくなったのです。この、優作さんが変化するについては、血みどろのエピソードもあったということなのですが、とにかく優作さんはある事件をきっかけに、気づきを得て変わったのです。

機能不全家庭の連鎖が、そこで切れたわけですね。
これはもの凄く大きな成長です。カルマが深かったために、残念ながら完全解消とまでには至らなかったけれども、死の前に魂を成長させることができた。
残された家族は、きっとその思い出を宝として生きることができると思います。

松田優作と尾崎豊。
死を前に、成長出来た人と出来なかった人。番組を観て、私はそのように受けとめました。
若くして散った二人の才能を惜しむとともに、お二人の冥福を祈ります。

●再放送あり
「大人になった君たちへ 尾崎豊20年目の真実」
2013年1月14日(月) BSプレミアム 15:00〜
『ココ・アヴァン・シャネル(Coco avant Chanel)』
coco

<avant>は、<前の>という意味ですから、<シャネルになる前のココ>という意味なのでしょう。
ココは、ご存知のようにシャネルの愛称。本名はガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)といいます。

シャネルがファッションデザイナーとして成功するずっと前、お針子仕事の傍ら歌手を志してキャバレーで歌っていたのですが、その時の持ち歌が「Ko Ko Ri Ko(コケコッコウ)」と「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」だったことから、ココと呼ばれるようになりました。

ココ・シャネルという人物については20代のころから大いなる興味を抱き、関連本もいくつか読んで来ました。
私が強く惹かれるのは、なんといってもシャネルの才能と意志の強さです。
孤児だった生い立ちや革新的なファッションは、そこに色を付ける道具に過ぎないのかも知れません。

この映画でココを演じたオドレイ・トトゥですが、きっとシャネルに似た女優さんを選んだのでしょう。
黒い大きな瞳と、への字の唇が、まさにシャネルの生き写し。意志の強さが全身に滲み出ています。
ただ可愛いだけの、遊び女には飽きた上流階級の男たちを、たちまち虜にしてしまった理由も頷けます。

それにしても、ファッション界に与えたシャネルの革新性には凄いものがあります。
コルセットを外させただけでなく、マリンルックやジャージー、マニッシュパンツ、ツーピースのスーツもみんなシャネルが最初。
立体裁断も、装身具の大胆な使い方も、そしてあの香水もシャネルが生み出したものです。

映画では、それらが誕生するインスピレーションの瞬間も、余すところなく描いていて、それを見ているだけでも楽しい。
私は、なぜか千利休に匹敵するものをピーンと感じてしまいました。

シャネルは一時期、自分の店を追い出されたり、戦後は対独協力者としてスイスに亡命せざるを得なかったりしましたが、1954年に71歳でカムバックを果たします。このころからのお話を描いたのが、シャーリー・マクレーンが主演した『ココ・シャネル』。
絶えず流行に追われるファッション業界で、71歳でカムバックというのも、素晴らしい才能があったればこそです。 
『パリを愛した作曲家たち』コンサート
9月8日、麻生市民会館大ホールで行われたコンサート『パリを愛した作曲家たち』を聴きに行ってきました。

リタイアした方たちがボランティアで開催しているクラシックのコンサートです。
毎回800人ほどを集めるコンサートで、春秋年2回開催しこれで10回目となります。私も毎回、チラシづくりでお手伝いをさせて頂いています。

「継続は力なり」をまさに地でいったようなイベントで、最初はいろいろなトラブルもあったようですが、今では運営ノウハウも蓄積され、地元の方たちに喜ばれる定期コンサートに成長しました。

コンサート終了後、打ち上げの場に顔を出しますと、40人ぐらいのスタッフの方がいらっしゃいます。
「他者に役立つことをするのが仕事」その典型を見るような気がして、つくづく「凄いなぁ」と思いました。

次回コンサートのテーマから始まり、アーティストと曲目の選定、チラシづくり、スポンサーの開拓、入場者募集の手続き、当日の会場運営、会計処理と、やることは山ほどあります。それでいてスタッフの方達の大半は、当日のコンサートを席でゆっくりと聴くことはできません。
構想とリーダーシップと情熱と、何よりボランティア精神が本当になければ、継続できないことです。

日本は高齢化の「化」がとれ、今すでに高齢社会になっていますが、リタイアした人たちが、このように「他者に役立つことをするのが仕事」の精神で現役を続けていってくだされば、日本も変わるし、若者の苦境も少しは救えるに違いないと、そう感じました。
ニッポンのジレンマ「僕らの楽しい資本主義」
 9月1日放送のNHK Eテレ『新世代が解く! ニッポンのジレンマ「僕らの楽しい資本主義」』。いやぁー、とっても面白かったです。
参加者の皆さんいずれも素晴らしい論客ばかり。何より「他の人の意見をちゃんと聴く」姿勢を皆さんがお持ちであるのには、いたく感心しました。若者って一人よがりのところがあるものだけれど(自分はそうだったなぁ)、みんな人格が出来ている。参りました。

資本主義がもはや「成長」のモデルだけでなく意味までを失っている。でも競争論理だけは生き残っているために、社会保障がなし崩しになってきている。このことは、イケダハヤトさんが危惧する通り大きな問題だと思います。
こうした中で、最低限の安心・安全は確保しながら、楽しく、創造的に生きていけるようにするにはどうしたらいいでしょう?

高木新平さんが「国のオッサンたちは未来のことを何も考えてくれない」と仰るのはその通りだと思います。
私よりちょっと上の「逃げ切り世代」を見ますと、ゴルフ、海外旅行、利殖など、自分と家族のことで忙しく、若者の未来のことなどちっとも考えていないように見受けられます。

古市憲寿さんが「若者が社会を変える義務はない。そんなものは老人がやればいい」と仰るのも、まったくその通りではありますが、残念ながら「逃げ切り世代」はそんなことは考えようともしません。その後の我々、通称スキマ世代は、全然金がない。
そこでやはり、高木新平さんが仰るように、若い世代のリーダーたちが、それを創っていかざるを得ないのではないでしょうか?

いわゆる「頑張れ」論ですが、私はこう思います。
社会の構成員は、どの世代で切っても、次のように分かれる。

1)自ずと頑張れるリーダー
2)スキルを示すことで、頑張れば後を着いて行けるフォロワー
3)頑張りたいんだけど、うまく頑張れない人
4)頑張る気力もなくしてしまった病的な人

古市さん言うところの「起業で成功しやすいのは、一流大学を出て、一流企業に就職して、スピンアウトした人」というのは、形としては確かにそうなのでしょうが、その方たちは、もともと「自ずと頑張れるリーダー」だった人だと思うのです。
今回の討論に参加された方たちも、みなそうした人です。

しかし誰でもがリーダーになれるわけではありません。
そのようなときに、今の若者に、ただ「頑張れ」と言うのは酷だと思います。
生まれたときからあらゆるサービスを消費ということで教えられ、コンビニがなければ生きられないといった世代に、いきなり「頑張れ」と言っても、それまで「起業」を習ったこともない。学校の先生たちは、みんなサラリーマンですからね。

古市さんは「豊かな親を持ち、そこまでお金に執着しなくても生きていけるようになった」と、現代の若者気質を説明されます。
それは、社会学的には当たっていると思いますが、それだからこそ、親が豊かな人と豊かでない人とでは、子世代に著しい格差が生じていると思います。これを、とても一括りにして語ることはできません。豊かでない親がどんどん増えていますからね。

それと、番組を見ていてもう一つ私が感じたのは、少人数で気の合った友達とユルユル仕事をするといったワークスタイル。私もそうして来ましたし、そこに異論は全くありません。
しかし多分、そういうワークスタイルで現在「喰えている」とすれば、その背景には、利潤追求型の従来企業やマスの経済システムがあるおかげではないでしょうか。そこから完全に逃れて生活することは、まだまだ難しいのではないでしょうか? そこには、「汚いことは他の方がやってくださいね。私は上澄みで生きますから。」という矛盾を多少感じるのです。

利潤追求を第一義とせず、好きな者同士が一人ひとりの創造力でネットワークしながら仕事をし、シャア精神でみんなが平和に成り立つ。
そのような社会であるためには、今の日本は、ただ生きていくためだけのファンダメンタルなコストが掛かりすぎます。社会システムがまだ革新していません。

息をしているだけでもべらぼうなコストが掛かるので、そこで、どうしても人々はそのコストに掛かる金を得るために、無理をして働かざるを得ない状況です。ここで、親が豊かな人と豊かでない人との格差が、もの凄く響いてきています。

どうすればいいのでしょうか?
私は、第一に、信用できないオッサンどもから逃れて、一人で生きていけるスキルを身につける教育を若い世代に施すこと。
第二に、ただ生きていくために掛かる生活コストを、劇的に下げる社会システムを造ること。
その両方が必要だと思います。
そして、それを成し遂げるのは、面倒くさいでしょうが、若い世代の皆さん方のようなリーダーにおいて他にないのではと思いました。
『dear hiroshimaをみて』を見て
 ブログの更新をだいぶサボってしまいました。
7月を棒に振ってしまいましたが、結局、ときめく時がなかったんだなぁ。

NHK BS1で『dear hiroshima』というドキュメンタリーと、関連討論番組の『dear hiroshimaをみて』を見ました。
『dear hiroshima』は、素材が優れていれば、どのように撮っても良いドキュメンタリーになるという典型のような作品で、なんといっても写真家石内都さんが撮った、広島で被爆して亡くなった少年少女たちの遺品が圧倒的でした。

ドキュメンタリーは、カナダのバンクーバーで開かれたこの石内都さんの写真展を追ったもので、こういうアプローチでもドキュメンタリーになるのか、とちょっと意表を突かれました。
監督は、日本生まれで日本育ちのアメリカ人女性、リンダ・ホーグランドさんです。

石内都さんの写真は、広島の原爆資料館に保管されている遺品を撮っただけの(と言っても、もちろん計算し尽くしているわけですが)撮影用語で言えば「ブツ撮り」作品です。
がしかし、見る方は、どうしてもそれを身につけていたであろう今は亡き人物のことを想像せざるを得ないのです。

これには凄いものがあります。写真そのものよりも、それを見ている側の想像力が何倍にも膨らんでしまう。
そういうスイッチが入ってしまうのです。
自分の大きな想像力が加わることでやっと一枚の写真が完成する、といった趣です。

芸術作品は多かれ少なかれそういう面を持っているわけですが、この写真ほど、見ている側の想像力が大きく膨らむ作品はそうそうないでしょうね。
このことは、欧米人に原爆の悲劇のまことを知ってもらう上で、大きな力を果たすだろうと思いました。

人種や国籍がたとえ違っていても、イマジネーションを掻き立てられない人はいないのではないでしょうか? 頭が洗脳されていても、自分の想像力の方が、きっと打ち勝つだろうと思うのです。
そういう意味で、着想は秀逸ですし、それをまたドキュメンタリーにしたことも大いに意義があることだと思います。

『dear hiroshimaをみて』は、監督のリンダ・ホーグランドさん、石内都さん、それに広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさん、そして作家の田口ランディさんの四人による討論番組です。
この中で興味深かったのは、「アメリカの感覚麻痺」と「グラウンド・ゼロ」に関する発言でした。

「アメリカの感覚麻痺」について、先ずスティーブン・リーパーさんがこう発言します。
「『僕らは善、あの人たちは悪だから、世の中をよくするためには善の人が悪の人を殺せばいい』そういう考えで(アメリカでは)たくさんの人が今でも動いている。アメリカ人は人の痛みを無視するという能力は特に発達している。全世界でいろんな人に本当に苦しみを与えている国なのに、それを無視するように教えられる。」

それに対して、リンダ・ホーグランドさんがこう付け加えます。
「無視するには特殊な心理的な操作が必要であって、それはアメリカが最も得意としている特権、アメリカ人が誰よりも優れていて、誰よりも偉くて、アメリカ人が決めた民主主義と自由はGoodで、それ以外のものはBad。そういうアメリカの心理的な幼稚化みたいなものはどんどん進んでいると思う。」と。

「グラウンド・ゼロ」問題については、たぶん日本人でも知らない人が大勢いるのではないでしょうか。
リンダ・ホーグランドさんは「9.11に関しては私はショックではなかったが、その翌日から、貿易センタービルの跡地を『グラウンド・ゼロ』と呼んだことにはびっくりした」と言います。

「グラウンド・ゼロ」は、もともとはネバダ州砂漠で世界初の核実験が行われたときにその爆心地に対して付けられた名称です。
これが転じて、広島、長崎の原爆爆心地も「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになったのです。

ところが9.11の直後、この「グラウンド・ゼロ」を貿易センタービル跡地に対し意図的に使うことにより、広島、長崎の痛みをマスキングする一方、「グラウンド・ゼロ」=「アメリカ人が抱く9.11の痛み」にすり替えがなされたのです。

今、跡地はメモリアル施設になっていて、そこでは9.11の犠牲者の遺族が「グラウンド・ゼロ」についての説明をボランティアで行っています。
9.11がアメリカの自作自演であったことは、たくさんの証拠によりもはや自明であるのに、その犠牲者の遺族を愛国者に仕立て上げてしまうアメリカ。

リンダ・ホーグランドさんが言うように、このドキュメンタリーを見たアメリカ人が、少しでも気づいてくれたらいいのにな、と思いました。