いつもときめいてる人になりたいな。
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松田優作と尾崎豊 〜『ヒーローたちの壮絶人生』

去年の11月の半ば、NHK BSプレミアムで『ヒーローたちの壮絶人生』という番組があり、そのことを書こう書こうと思いながら延び延びになってしまいました。

番組は、若くして亡くなった松田優作さんと尾崎豊さんの足跡を2日連続で辿るものでした。
番組の制作者がなぜこの二人にスポットを当てたのかのかは解りません。『ヒーローたちの壮絶人生』というタイトルからすると、シリーズ化を目論んでいるようにも感じられるのですが、なぜかこの二人だけだったのです。

でも二人を比較して見たとき、私にとってはとても興味深い発見がありました。
それはカルマについてです。
<カルマと聴いて、鼻白(はなじら)んだ人はどうぞスルーをしてくださいな。以下、私の勝手な解釈と妄想と受け取ってください。>

表現者というものは、たいてい強いカルマを持っているものです。この内なる葛藤の激しさが、いざ表現となって外に出たときに、しばしば素晴らしい輝きに転化する。その輝きは、カルマが強ければ強いほど、常人を超えた才能を見せる。松田優作さんと尾崎豊さんは、その典型例であったように思うのです。

松田優作さんは機能不全家庭で育ちました。親の愛、家族愛というものから縁遠い少年時代を歩んだ。それが青年期になり、暴力的なコミュニケーションを当たり前のように思う性格を形成したと思います。この時点では、典型的な機能不全家庭の連鎖です。

一方の尾崎豊さんは、時代のスキマに出現した少年の、純粋な叫びだったと思うのです。尾崎豊さんが活躍した80年代後半はまさにバブルの絶頂期。その右肩上がりの世の中に、なにか着いていけない、大人たちがやってることはどうも嘘くさい、そう感じた魂が反抗心として炸裂したのだと思います。

高校時代、尾崎豊さんの同級生だったという人が語った次のエピソードは、その辺を知る上でとても興味深いものです。ある時、尾崎豊さんがその同級生にこう問いを投げかけたそうです。
「自由の反対が何か、知ってるか?」

さあ、あなたなら何と答えます? ここで尾崎豊さんは意表を突く言葉を発し、同級生を驚かせたと言います。
「支配なんだよ」
うーん、凄い。『卒業』の中の歌詞、「この支配からの卒業」は、ここから出発しているんですね。


ところが、その支配に反抗する歌を歌うことで、同年代に絶大な人気を誇った尾崎豊さんには、皮肉なことに一つの爆弾があったのです。自分が歳をとって行くという時限爆弾です。10代の反抗を歌った人が、20代になったらどうなるのか? 20代の反抗を歌うのか? それとも別の境地に変化していくのか? さらに30代になったらどうなるのか?

これがとうとう定まらなかった。
私は40代になった尾崎豊さんを見てみたかったです。しかし30代・40代になって、10代のときに作った歌を、懐メロのようにして歌うわけにはいきません。それでは自分への裏切りになってしまいます。

大人への反抗で突っ走ってきた自分が、大人になってしまうことの矛盾と葛藤。たぶん尾崎豊さんはそれに堪え切れなかった。それを克服することができなかったんだと思います。
あまりにも10代の歌が純粋性に満ちていて素晴らしかったために。

でも、エリック・クラプトンのようになる道もあったんだと思うんですよね。それをして欲しかったです。

一方の松田優作さんですが、美由紀さんの証言によれば、結婚して子供を持つようになってから「優作は変わった」と。それまでの自分本位で粗暴な優作ではなくなったのです。この、優作さんが変化するについては、血みどろのエピソードもあったということなのですが、とにかく優作さんはある事件をきっかけに、気づきを得て変わったのです。

機能不全家庭の連鎖が、そこで切れたわけですね。
これはもの凄く大きな成長です。カルマが深かったために、残念ながら完全解消とまでには至らなかったけれども、死の前に魂を成長させることができた。
残された家族は、きっとその思い出を宝として生きることができると思います。

松田優作と尾崎豊。
死を前に、成長出来た人と出来なかった人。番組を観て、私はそのように受けとめました。
若くして散った二人の才能を惜しむとともに、お二人の冥福を祈ります。

●再放送あり
「大人になった君たちへ 尾崎豊20年目の真実」
2013年1月14日(月) BSプレミアム 15:00〜
ニッポンのジレンマ「僕らの楽しい資本主義」
 9月1日放送のNHK Eテレ『新世代が解く! ニッポンのジレンマ「僕らの楽しい資本主義」』。いやぁー、とっても面白かったです。
参加者の皆さんいずれも素晴らしい論客ばかり。何より「他の人の意見をちゃんと聴く」姿勢を皆さんがお持ちであるのには、いたく感心しました。若者って一人よがりのところがあるものだけれど(自分はそうだったなぁ)、みんな人格が出来ている。参りました。

資本主義がもはや「成長」のモデルだけでなく意味までを失っている。でも競争論理だけは生き残っているために、社会保障がなし崩しになってきている。このことは、イケダハヤトさんが危惧する通り大きな問題だと思います。
こうした中で、最低限の安心・安全は確保しながら、楽しく、創造的に生きていけるようにするにはどうしたらいいでしょう?

高木新平さんが「国のオッサンたちは未来のことを何も考えてくれない」と仰るのはその通りだと思います。
私よりちょっと上の「逃げ切り世代」を見ますと、ゴルフ、海外旅行、利殖など、自分と家族のことで忙しく、若者の未来のことなどちっとも考えていないように見受けられます。

古市憲寿さんが「若者が社会を変える義務はない。そんなものは老人がやればいい」と仰るのも、まったくその通りではありますが、残念ながら「逃げ切り世代」はそんなことは考えようともしません。その後の我々、通称スキマ世代は、全然金がない。
そこでやはり、高木新平さんが仰るように、若い世代のリーダーたちが、それを創っていかざるを得ないのではないでしょうか?

いわゆる「頑張れ」論ですが、私はこう思います。
社会の構成員は、どの世代で切っても、次のように分かれる。

1)自ずと頑張れるリーダー
2)スキルを示すことで、頑張れば後を着いて行けるフォロワー
3)頑張りたいんだけど、うまく頑張れない人
4)頑張る気力もなくしてしまった病的な人

古市さん言うところの「起業で成功しやすいのは、一流大学を出て、一流企業に就職して、スピンアウトした人」というのは、形としては確かにそうなのでしょうが、その方たちは、もともと「自ずと頑張れるリーダー」だった人だと思うのです。
今回の討論に参加された方たちも、みなそうした人です。

しかし誰でもがリーダーになれるわけではありません。
そのようなときに、今の若者に、ただ「頑張れ」と言うのは酷だと思います。
生まれたときからあらゆるサービスを消費ということで教えられ、コンビニがなければ生きられないといった世代に、いきなり「頑張れ」と言っても、それまで「起業」を習ったこともない。学校の先生たちは、みんなサラリーマンですからね。

古市さんは「豊かな親を持ち、そこまでお金に執着しなくても生きていけるようになった」と、現代の若者気質を説明されます。
それは、社会学的には当たっていると思いますが、それだからこそ、親が豊かな人と豊かでない人とでは、子世代に著しい格差が生じていると思います。これを、とても一括りにして語ることはできません。豊かでない親がどんどん増えていますからね。

それと、番組を見ていてもう一つ私が感じたのは、少人数で気の合った友達とユルユル仕事をするといったワークスタイル。私もそうして来ましたし、そこに異論は全くありません。
しかし多分、そういうワークスタイルで現在「喰えている」とすれば、その背景には、利潤追求型の従来企業やマスの経済システムがあるおかげではないでしょうか。そこから完全に逃れて生活することは、まだまだ難しいのではないでしょうか? そこには、「汚いことは他の方がやってくださいね。私は上澄みで生きますから。」という矛盾を多少感じるのです。

利潤追求を第一義とせず、好きな者同士が一人ひとりの創造力でネットワークしながら仕事をし、シャア精神でみんなが平和に成り立つ。
そのような社会であるためには、今の日本は、ただ生きていくためだけのファンダメンタルなコストが掛かりすぎます。社会システムがまだ革新していません。

息をしているだけでもべらぼうなコストが掛かるので、そこで、どうしても人々はそのコストに掛かる金を得るために、無理をして働かざるを得ない状況です。ここで、親が豊かな人と豊かでない人との格差が、もの凄く響いてきています。

どうすればいいのでしょうか?
私は、第一に、信用できないオッサンどもから逃れて、一人で生きていけるスキルを身につける教育を若い世代に施すこと。
第二に、ただ生きていくために掛かる生活コストを、劇的に下げる社会システムを造ること。
その両方が必要だと思います。
そして、それを成し遂げるのは、面倒くさいでしょうが、若い世代の皆さん方のようなリーダーにおいて他にないのではと思いました。
『dear hiroshimaをみて』を見て
 ブログの更新をだいぶサボってしまいました。
7月を棒に振ってしまいましたが、結局、ときめく時がなかったんだなぁ。

NHK BS1で『dear hiroshima』というドキュメンタリーと、関連討論番組の『dear hiroshimaをみて』を見ました。
『dear hiroshima』は、素材が優れていれば、どのように撮っても良いドキュメンタリーになるという典型のような作品で、なんといっても写真家石内都さんが撮った、広島で被爆して亡くなった少年少女たちの遺品が圧倒的でした。

ドキュメンタリーは、カナダのバンクーバーで開かれたこの石内都さんの写真展を追ったもので、こういうアプローチでもドキュメンタリーになるのか、とちょっと意表を突かれました。
監督は、日本生まれで日本育ちのアメリカ人女性、リンダ・ホーグランドさんです。

石内都さんの写真は、広島の原爆資料館に保管されている遺品を撮っただけの(と言っても、もちろん計算し尽くしているわけですが)撮影用語で言えば「ブツ撮り」作品です。
がしかし、見る方は、どうしてもそれを身につけていたであろう今は亡き人物のことを想像せざるを得ないのです。

これには凄いものがあります。写真そのものよりも、それを見ている側の想像力が何倍にも膨らんでしまう。
そういうスイッチが入ってしまうのです。
自分の大きな想像力が加わることでやっと一枚の写真が完成する、といった趣です。

芸術作品は多かれ少なかれそういう面を持っているわけですが、この写真ほど、見ている側の想像力が大きく膨らむ作品はそうそうないでしょうね。
このことは、欧米人に原爆の悲劇のまことを知ってもらう上で、大きな力を果たすだろうと思いました。

人種や国籍がたとえ違っていても、イマジネーションを掻き立てられない人はいないのではないでしょうか? 頭が洗脳されていても、自分の想像力の方が、きっと打ち勝つだろうと思うのです。
そういう意味で、着想は秀逸ですし、それをまたドキュメンタリーにしたことも大いに意義があることだと思います。

『dear hiroshimaをみて』は、監督のリンダ・ホーグランドさん、石内都さん、それに広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパーさん、そして作家の田口ランディさんの四人による討論番組です。
この中で興味深かったのは、「アメリカの感覚麻痺」と「グラウンド・ゼロ」に関する発言でした。

「アメリカの感覚麻痺」について、先ずスティーブン・リーパーさんがこう発言します。
「『僕らは善、あの人たちは悪だから、世の中をよくするためには善の人が悪の人を殺せばいい』そういう考えで(アメリカでは)たくさんの人が今でも動いている。アメリカ人は人の痛みを無視するという能力は特に発達している。全世界でいろんな人に本当に苦しみを与えている国なのに、それを無視するように教えられる。」

それに対して、リンダ・ホーグランドさんがこう付け加えます。
「無視するには特殊な心理的な操作が必要であって、それはアメリカが最も得意としている特権、アメリカ人が誰よりも優れていて、誰よりも偉くて、アメリカ人が決めた民主主義と自由はGoodで、それ以外のものはBad。そういうアメリカの心理的な幼稚化みたいなものはどんどん進んでいると思う。」と。

「グラウンド・ゼロ」問題については、たぶん日本人でも知らない人が大勢いるのではないでしょうか。
リンダ・ホーグランドさんは「9.11に関しては私はショックではなかったが、その翌日から、貿易センタービルの跡地を『グラウンド・ゼロ』と呼んだことにはびっくりした」と言います。

「グラウンド・ゼロ」は、もともとはネバダ州砂漠で世界初の核実験が行われたときにその爆心地に対して付けられた名称です。
これが転じて、広島、長崎の原爆爆心地も「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになったのです。

ところが9.11の直後、この「グラウンド・ゼロ」を貿易センタービル跡地に対し意図的に使うことにより、広島、長崎の痛みをマスキングする一方、「グラウンド・ゼロ」=「アメリカ人が抱く9.11の痛み」にすり替えがなされたのです。

今、跡地はメモリアル施設になっていて、そこでは9.11の犠牲者の遺族が「グラウンド・ゼロ」についての説明をボランティアで行っています。
9.11がアメリカの自作自演であったことは、たくさんの証拠によりもはや自明であるのに、その犠牲者の遺族を愛国者に仕立て上げてしまうアメリカ。

リンダ・ホーグランドさんが言うように、このドキュメンタリーを見たアメリカ人が、少しでも気づいてくれたらいいのにな、と思いました。
『梅ちゃん先生』いまひとつ
 NHK朝ドラの録画予約をそのままにしていたので『梅ちゃん先生』を見ました。
でも2回めでダウン。役者さんたちがどうもね。どなたとは申しませんが。
『カーネーション』は、上手くて味のある人ばっかりだったのにね。いったい何が違うんでしょう。

東京制作のものは、キャスティングにどうも有名人を並べようとしているように見えます。これが間違いだと思うんです。
ドラマでも歌でも、ヒット狙いは、みんながよく知っている最大公約数をめざそうとするのですが、でも本当にヒットしたものというのは真逆です。
たった一人のため、あるいは自分の中の抑えられない衝動を表出したとき、そこに何か普遍性があって、じわじわとヒットしていくのです。
朝ドラの『カーネーション』が終了
 NHK朝ドラの『カーネーション』が終わってしまいました。
自分を 、明日へと駆り立ててくれるものの一つがなくなっちゃいました。
まだ『トンイ』があるけれど、『トンイ』も佳境に入っていて、もうまもなく終わりそうです。『トンイ』まで終わってしまったら、私はどうしたらよいのでしょう。
また次が見つかるかな?

『カーネーション』の終盤、可愛がってた男の子たち(といっても、もう45歳になっているのですが)の父親(糸子の友人)の一人が死んで、ガックリきている男の子たちに糸子が語ったセリフが印象的でした。

「いよいよ、自分の力で支えなあかん。その不安と怖さが応えているんや」
「そ、そうです」
「けど、それは誰もが通らなあかん道や」
「(もう一人が)先生、ぼくかてそうなるんでっしゃろうか?」
「そうや。誰かて強うない。でも、弱くても、つないで、つないで、やっていくしかないんや。群れたり、誤摩化したり、慰め合うたりしているうちに、人間はやっていける」

90歳を超えた人の言葉ですから、きっとその通りなのでしょう。
「つないで、つないで」
連ドラも、つないで、つないで、進行していく。
つないで、つないで、観て行くうちに、いつのまにか人生が進行している。
それが、人生の真実なのでしょうね。
無私であり続ける強さ
3月15日NHK-BS1放送の『震災後を歩く〜海外ジャーナリストの見た日本 ドイツ:マリオ・シュミット』を見て、涙を禁じ得なかった。
家族を失うという痛手を受けながらも、自分の仕事をし続ける人たち。

いま必要とされているから、それをする。
ただそれだけなのだが、そこに感動を覚えるのは、その当たり前がなかなかできないからだ。
無私であり続けることの、揺るぎない強さ。

本当の人格者は、エリート層の中に居るのではなく、市井の人々の中に居ることを、まざまざと見せつけられる。
人としても、指導者としても、お父さんとしても、お母さんとしても、本当に立派だ。

3月23日9:05〜9:54 再放送
『無縁死のおくりびと』と『南京長江大橋に星を』
NHKのBSで、2篇のドキュメンタリーを観て、心を打たれました。
インドの『無縁死のおくりびと』と、
中国の『南京長江大橋に星を』です。再々放送: 3月9日(金)18:00〜18:49

人口11億人を超え、今なお増加し続けているインド。
『無縁死のおくりびと』には、その片隅で、貧しさゆえに無縁死していく人々に、全くの個人の発露から弔いを施す活動を続けている3人の心情が綴られています。

経済成長に沸くインドですが、富める人が居る一方で、路上で息絶え絶えに横たわっている人が居ても、気に留める人はあまりいません。
あまりにも人口が多く、そして当たり前のような光景だからでしょう。

そうした中で、無縁死する人々に、弔いを施す活動を地道に続けている人たちがいる。
彼らは、それを放ってはおけないのです。
変人だ、バカだと陰口をきかれながらも、使命感に駆られるようにして今日も出掛けて行く。

ジテンドラ・パル・シン “シャンティ” さんは、18年前の体験がきっかけでした。
ある日、親戚の葬儀に出掛けたジテンドラさんは、火葬場で火葬用の薪を盗んでいる男を目撃します。
しかし捕まえて事情を聞いてみると、その男は「田舎から出て来たが息子が死んでしまった。息子を火葬してやりたいが、薪を買う金もない」と話したというのです。

ムハンマド・シャリフさんは、医学生であった息子が22歳のときに殺されたのがきっかけでした。
殺された息子は、しばらく身元不明死体として扱われていた。
ムハンマドさんが、息子の死を知ったのは、事件があって大分経ってからでした。
そのとき「自分の住んでいる町からは無縁死でうっちゃられたままの死体など出さないぞ」と決意したそうです。

アマルジート・コォルさん(女性)は、男尊女卑の慣習がいまだ残るインドの中で、本来は女性がつけない弔いの仕事を、女性こそが相応しいと考え、理不尽な死を迎えた女性らの魂を救済しようとしています。
どの人も、僅かな寄付を募りながらの無私の活動です。
インドにはこういう人たちが他にも大勢いるそうです。

道ばたにうずくまっている人を見ても、跨いで行く人。
でもそれが、放っておけない人。
その違いは、なんでしょうか?

『南京長江大橋に星を』では、長江大橋で自殺をしようとしている人を救い出す活動をしている陳思さんという43歳の男性が描かれています。
中国では、都市部と農村部での戸籍が明確に分けられ、待遇に差別があります。
地方から出稼ぎにきた「農民工」は、都市部住民が受けられる各種のサービスを受けられないのです。

陳思さん自身も農民工で、田舎から友人と南京に出て来たが、その友人が自殺してしまった。
そのことと、南京長江大橋で、飛び降り自殺をした人を目撃したのがきっかけになったそうです。
陳思さんは、配送の仕事で得られる僅かなお金の大部分をつぎ込んで、町中に一時避難所にする部屋まで借りて活動を続けています。

奥さんや娘は、せっかくの稼ぎを他人のために使ってしまうお父さんに不満気味です。
でも陳思さんはやめない。「自殺者が居なくなったら喜んでやめる」と言います。

中国にもインドにも、共通した問題が生じてきています。
経済成長の結果、物質主義が蔓延し、多くの人が、他人の死になど関心を示さなくなっているのです。
富者はますます富み、貧者はますます貧しくなる。
そのことを「仕方がない」「当然である」「他人を押しのけて競争に勝つしかないのだ」という思想が、ますます強固になっています。

道徳とかモラルといったことを超えて、貧者や死者の魂に寄り添える力のある人を、私は尊敬します。
私もかくありたい、と願います。
『カーネーション』の時代
NHKの朝ドラ『カーネーション』を見ていると、あのころの時代の移り変わりが、皮膚感覚で甦って来ます。

主人公の糸子は、三人娘がそれぞれ育ち一息ついたものの、自分が時代変化に対応できていないのではないか、という思いを強くしていきます。
一方、娘たちはプレタポルテから既製服への変化に乗ることができて、時代の寵児となってゆくのです。

よく覚えてはいませんが、私の家では、東京オリンピックの前後には洋裁店を閉めたと思います。
小学校の低学年のころはまだお弟子さんもたくさんいて賑わっていました。

でも私の母は糸子のようには商売が上手ではなくて、年末になると、私を売掛金の回収に行かせました。
洋服を注文して出来上がっても、代金を払わない人がけっこう居たのです。
私が言われた家に行くと、中はもぬけのから、ということもありました。

デザインやもの作りは大変好きだったのですが、私の興味は洋服ではなくて、別の方向に向かいました。
いま考えると、失敗したかな? とちょっと思います。
連ドラの効用2
子供のころ、友達の家に遊びに行くと、たいていの家の鴨居に、額に入った軍服姿の人の写真がありました。
それは、戦後の時代にあってはただの遺影でしかなく、子供心には遠い昔のような感じがしていましたが、『カーネーション』を見ていると、確かにその家に生きて、生活していた人が居たんだということが解ります。

でも、忘れ去られるのも早く、昭和30年代に入ると、糸子の家の食卓はおかずで賑やかになり、街には洋服が溢れ、糸子の洋裁店も改装してモダンに生まれ変わっています。
こうして時代は変わって行くんですね。
外れても、踏みとどまっても、人の道
 NHKの朝ドラ『カーネーション』でこんなシーンがありました。
未亡人となった糸子が、妻子持ちの周防さんを好きになってしまいます。
周防さんは長崎で原爆にあい、家を焼かれて大阪の岸和田まで流れて来るのですが、紳士服の職人だったことから泉州繊維商業組合の組合長に何かとお世話になるのです。

この組合長(近藤正臣)は人格者で、他者に対しては面倒見がとてもよく、でも自分には厳しく「人の道を外れない」ことを信条として生きてきました。
でも自分は完全であったなどという奢りは無く、「人の道に外れたかというと、そうとも言い切れないこともない。どうにか踏みとどまった」程度だと糸子に語ります。

その組合長が、二人の仲を知って、意外にも可愛がっている周防さんにこういうのです。
「(糸子に)迷惑かけたらいい。惚れた女から『好きや』なんて言われること、人生そうそうないでぇ」
人格者であり尊敬もしている組合長からそう言われて、周防さんはびっくりします。そこで組合長が言った台詞がこれです。
「外れても、踏みとどまっても、人の道」

組合長いわく、
「人の道は外れんためにある。でも外れて苦しむためにもある。
 大いに苦しんだらええんや。命は燃やすためにあるんやでぇ」

まったくその通りだと思いました。
「外れても、踏みとどまっても、人の道」
そう繰り返してから、組合長は「あ、これ五七五になってるやないけ」と言ってちょっと笑います。
組合長にとっても、また一歩、進んだ瞬間だったんですね。