いつもときめいてる人になりたいな。
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ウグイス

小鳥の鳴き声に起こされました。
散歩をすると、いろんな声が聴こえます。でも自分に判るのはウグイスだけ。
ウグイスって毎年同じ所に巣を作るのかしら。いつも同じ場所に来ると聴こえる。
その声が届く範囲も半端じゃない。300mmは優に超えている感じがします。
それと、春って、紫色の花がたくさん咲くんですね。新しい発見でした。
たんぽぽが満開

東京では桜の花ももう終わり。最後はちょっとみすぼらしいけれど、この後、青々とした若葉でいっぱいになる桜も大好きです。
桜の花びらが落ちた足許を見ると、たんぽぽが満開。
たんぽぽって、どんなところにも生えて来る逞しさがあって、だからそんなに有り難がっては見られない花だけれど、名前も花も可愛らしいじゃありませんか。
たんぽぽが咲いていないと、どうも春らしくありませんね。
たんぽぽというと、僕はどうしてもレイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』を思い出してしまいます。 
あっという間に
山椒の若葉がニョキニョキ出て来て、あっという間に大きく成長しています。
タケノコも凄いですが、この時期の春の生命力というものは、大変なパワーを秘めていますね。
わが家の山椒はもう少し大きくなると、このあと青虫くんにあっという間に食べられて、丸裸になってしまいます。
そうなる前に、大急ぎで筍ご飯をしなくっちゃ。
継続力の公式
健康法にしろ、ダイエットにしろ、習い事にしろ、何事も継続するは難しいですね。
今朝、「継続力」の公式というのが頭にパッと浮かんだので、ここに記します。

                    モチベーションの高さ
継続力  =  気づき(または強制力)+  ――――――――――――  +  成果
                    プラクティスの難易度

先ずは、それが本当に必要なことなのだという「気づき」が起きることが前提です。これがあってこそ、次のモチベーションの高さに繋がっていく。
小さい子にお稽古事をさせるときには、最初は「強制力」でしょう。でも、「強制力」だけでは長続きはしませんね。どこかで本人の中に「強制力」が「気づき」に変化することがないと、継続はやはり難しい。

次に、「モチベーションの高さ」ですが、何か具体的な目標があると高まると思います。マラソンだってゴールが設定されているから走れると思うんです。ですから、永遠とゴールがないもののような場合は、身近な達成しやすい目標をとりあえず設定するといいと思います。
それと同時に、プラクティスの難易度を下げるということ。最初から難しいことをやろうとしたら、モチベーションが萎えてしまいますね。

そして「成果」です。「成果」が目に見えるようであれば、達成感や喜びが起きて、次の「継続力」につながっていく。ですから、そのためにも、小さな目標を設定して、それをクリアしながら繋いで行くというのが、継続のコツということになりそうです。
「社会人」って言葉、やめにしませんか?
 知り合いの大学生が大学を卒業し、就職することになりました。赴任地はいきなりヴェトナムだそうです。
グローバル化ということが、こんなところにも顕われているんですね。

ところで、初めて就職することを世間では「社会人」になると言いますね。
私は以前からずっと、この言葉はおかしいと思っていました。
では就職できなかった人は「社会人」になれなかったのでしょうか?
あるいは、会社を定年退職すると「社会人」ではなくなってしまうのでしょうか?

会社員になるという働き方は大正時代に入って一般化したもので、明治まではほとんどの人が一次産業に就労するか職人などをしていました。
私の記憶では、1960年代までは「月給取り」になるということは、まだ非常にステータスが高かったように思います。

それまでの不安定な収入状態から定期収入が得られるということと、当時は高度成長期にありましたから就職後も給料がどんどん上がって行った。それによって、物質的には恵まれた生活が送れるようになって行ったのです。

しかし今は状況がまったく違います。初任給も高度成長期に比べて下がってしまいましたし、非正規雇用がもの凄く増えました。
このような時代に、就職すること=「社会人」というのは、ますます変だなという気がいたします。

「社会人」という言葉には、サラリーマンになることが当たり前で、それは正しいことで、そうならない、あるいはなれない人は、はみ出し者といった価値観が、色濃くあるように思うのです。

学生はこうした価値観に完全に支配されていて、サラリーマンが当たり前のようになったのは、近代以降のつい最近に過ぎないということを知りません。
就活産業やマスコミや大学がそのような価値観を前提として打ち立てているからです。
ですから、就職がままならない時代に一人で生きて行く術というものを、誰からも教えてもらっていません。
ここにもう一つの悲劇がある。

私は、赤ちゃんからお年寄りまで、社会に生活している人はみんな「社会人」なのだと思っています。
それぞれが、社会を構成しているまぎれもない部分なのです。
もし「社会人」という言葉を使うのなら、そうした意味合いを持たせないと「社会」というものを間違って捉えることになります。
事実、(故意なのかどうかは分かりませんが)間違って捉えていると思います。

「社会」は、企業が動かしているもので、企業の景気が良くなれば、雇用も増えて、収入も上がって、税収も増えて、万事がうまく回るという幻想が、未だに跋扈している。
実際は、企業が収益を上げても、雇用は増えず、収入も上がらず、税収も増えず、景気は低迷したままなのが現代の仕組みです。

その陰で、年寄りとか、保育園とか、看護・介護とか、教育といったことは、どうしても「社会」の問題とは見なされない風潮になっていってしまう。
そういう懸念が「社会人」という言葉にはあると思うのです。
どうです? 「社会人」って言葉、やめにしませんか?
黙祷を捧げました。

今日は、黙祷を捧げました。
花粉症の季節
 花粉症の季節がやってきました。
今年は、寒かったせいか、例年よりも始まりが遅いようです。
私は杉花粉だけでなく檜もあるので、6月近くまでマスクを手放せません。
初夏が訪れ、やれやれと思ったら、9月にはブタクサに苦しめられます。
一年の大半が、喉の痛みと鼻水に支配されている感じです。
こればっかりは、「もう馴れました」というわけにはなかなか行きませんね。
雪国
 しばらく、田舎(雪国)に帰っていました。今年はシベリアからの寒波がひどくて、何十年ぶりかの大雪となり、実家がどうなっているか心配でした。

越後湯沢に着く時は、いつも川端康成の『雪国』の、冒頭の一節を思い出します。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
本当にそうなんです。
この簡潔な文章の中に、全部が表現されている。ステキな一行ですね。

はたして実家は、大丈夫でした。
もの凄く寒かったけれど、私がいた間、雨が降り続いて、どんどん雪を溶かしていきます。
東京に帰るころには、玄関前の雪はすっかりなくなっていました。
今はクルマがあるけれど、自分が子供のころの大変さを思い出すと、雪国の人たちの粘り強さって本当に凄いなーと、心から思います。
地球も必死。
ヨーロッパを大寒波が襲っています。南仏にも雪が降ったとか。
地球も必死です。
上昇した体温を下げようとして、氷で緊急手当てです。
大雨やハリケーンの巨大化、大洪水も、水の循環で熱を逃がそうとしているんです。

一方で、エネルギーの消費拡大は止まらないし、森林破壊も止まらない。
ニュースの話題は「経済成長」ばかり。

大干ばつと砂漠化の進行は、地球が罹っている熱病が、ますます悪化していることを示しています。
同じようにして、巨大文明が、史上何度も滅んできました。
人類の深い業です。

気づいた人から、やれることをやらないといけませんね。
朝陽を浴びる
去年の12月から、習慣化したことがあります。
晴れの日、朝日のプラーナを体いっぱいに吸い込むことです。
きっかけは、去年の夏から11月にかけて深夜の労働をした結果、すっかり体調を崩してしまったことです。
もう少しなんとかなると思ったのですが、やっぱり生体は正直ですね。
そこで、狂った生活リズムを戻すために、深夜の労働をやめて、朝陽をあびることにしたのです。

ちょうどそのころ『Amazing Voice』という番組で、ハワイの若いミュージシャンが、早朝、山に登って朝陽のプラーナを吸い込む訓練をしている姿を見ました。
彼は言います。
「友達は、バカみたいって言うけど、僕はこうやっているのが好きだし、太陽のエネルギーを貰える気がするんだ」
この姿が純朴でステキだなと思い、私もやってみようと思いました。

それと若いころ、戸嶋正喜先生の道場に通っていたときに、戸嶋先生も太陽のプラーナを吸い込む訓練をしたと仰っていたのを思い出しました。

とはいえ、元来の朝寝坊ですから、今の時期ですと8時半にベランダに出ます。
わが家は谷底のようなところにあり、高台の家に遮られて、その時間にならないとうちには陽が差し込みません。
今のところ続いていますが、これから夏に向かって陽が長くなったときにどうなるか。
だんだん早起きしていかないといけません。うまく対応できるといいなと思っています。