いつもときめいてる人になりたいな。
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どんどんカッコよくなる矢沢永吉さん

私は、決して永ちゃんのファンというわけではないのですが、NHK BSの『SONGS プレミアム 矢沢永吉』を見て、すっかり魅了されてしまいました。
歌がうまいのにもびっくりしましたが、すごくカッコいいオジさんになっている。

2.29の『大人になるということ』というコメントでは、ダメな大人へのなり方について書いたのですが、永ちゃんはその真逆を行ってる気がしました。
歌の合間に、スタジオに集った20代男女の悩み相談に、永ちゃんは一件一件ていねいに答えていきます。

どの質問にも、真剣に耳を傾ける姿勢。
そして、経験に裏打ちされた話だけを語り、決して嘘や誇張を盛り込まないこと。
相談をしている若いコたちの感覚に立つと、それが信頼できるオヤジにつながるのでしょう。

逆に言えば、そうでない大人が、あまりにも多いということです。
真剣に話を聞いてくれず、自分で経験をしたこともないのに、誇張を交えて語るウソツキの大人。
親子関係がうまくいかないことの大半は、親のこうした態度が、子供を幻滅させているのです。

アーティストは、ことの本質を感覚で捕まえようとするので、パッと自分を捨てられます。
中でもミュージシャンは、感覚の中に没入し、その感覚を追及し続けることで次への飛躍を目指そうとします。
だから、経験を経たミュージシャンは、男も女も、歳をとればとるほどカッコよくなっていく。

私たちも、それを目指したい、ものです。
堀文子さんのこと(2)
堀文子さんの言葉で、もう一つ印象に残ったのは、
「私の中に、既に死が入り込んでいる」
と言われたことです。

うっかりすると、聞き流してしまいかねない言葉ですが、
堀文子さんは、「死が忍び寄っている」と言ったのではなく、
「死が入り込んでいる」と言ったのです。
すでに何十パーセントかは「死んでいる」と言っているのです。

私の母は93歳で、堀文子さんとほぼ同世代だと思うのですが、昨年秋から老衰でほとんど眠ったきりになりました。
ご飯のときに起きても、すぐに眠ろうとしてベッドに入ってしまいます。
食事とトイレの時以外、約23時間はずっと眠っています。

これを、「さあ大変だ、起こさなきゃ」と思ってはいけないのです。
とかく人は、「生きている」ことが総てで、「死んだらそれまでよ」と思っています。
「生存」こそに価値があるのだと思い込んでいます。
そして「生きている」徴候を見せないことは、すべて悪いことのように捉えています。

しかし母を見ていますと、今は眠っている方が楽しいのです。
「もう十分生きましたわ」と、私に語ったことがあります。

この世時間で23時間も、あの世時間にしてみればせいぜい数十分。
だから、食事に起きたときはその延長で「さっきまで、そこに○○さんが居た」というようなことを話します。
この世の人間はそれを「幻覚」の一言で片付けてしまうのですが、そうではありません。
あの世とこの世は重なっていて、それは母の実際の体験なのです。

堀文子さんの言葉を借りれば「死が入り込んでいる」割合いが、9割を超えているだけなのです。
まだ若い、元気バリバリの人間も、その割合いが低いというだけであって、誰もが常に「死と同居」しているのです。
それが「生」というものの宿命です。
「死」のない世界は「無」です。
「有」である限り、「生」と「死」があるのです。

「死」は忌み嫌うべきものではなく、自然の営みです。
枯れて朽ち果てる大木があるからこそ、次の若木が育つのです。
このようにして、万物が輪廻している。
その道理を、人は知らねばなりません。

堀文子さんは、芸術を通して、日々真理を探求しているからこそ、そのことが実感として解っておられるのだと思います。
堀文子さんのこと
 堀文子さんを知ったのは、戸井十月さんがインタビュアーをつとめた番組『画家・堀文子 93歳の決意』を観てからでした。
私はどちらかというと、洋画より日本画の方が好きで、作品にももちろん魅了されたのですが、それよりも堀文子さんという人物そのものに惹き付けられました。

強い意志。そして飽くなき探究心。これが堀文子さんの真骨頂だと思いました。
この中で印象に残った言葉が二つあります。
一つは、1987年にイタリアにアトリエを移した理由でした。
「女がしっかりしていればこの国は大丈夫だと思っていたが、そうではなくなったから日本を脱出した」と言われたのです。(言葉の記憶が正確ではないかもしれません)

1987年といえばまさにバブル時代。
地にしっかり足をつけ、男どもが動かしている社会が間違った方向に行かないかを常に監視し、人間として本来あるべき生活を営んで行く。
それが女の存在意義なのに、その女が狂乱文化に染まってしまった。
そこまでは言われませんでしたが、そういう意味だろうということは察しました。
戦争を体験した世代の、ほんとうの実感がそこにあるのでしょう。

それから、日本では揺り戻しが起きたでしょうか?
あまり変わっていない感じがします。
「しっかりした女」が復活すれば、この国の政治がもう少し良くなって、ひょっとすると、原発事故なども起きなかったかもしれません。

私は「男」とか「女」とかを、性別だとは捉えていません。
「男思考」の人と「女思考」の人と捉えています。
「男」の中にも「女思考」はありますし、「女」の中にも「男思考」が潜んでいます。
バブル以降は、社会全体で「男思考」が優位になってしまったのです。
「男思考」を持つ「女」が増えてしまったということだと思います。
(続く)