いつもときめいてる人になりたいな。
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『ゼロ・グラビティ』の深い意味

ゼロ・グラビティ』を観に、IMAXシアターのある川崎まで行って来ました。この映画は宇宙空間を3D映像で表現したもので、どうしてもそのリアリティを体感したくてIMAXシアターを目指したのでした。もう何十年前になるか忘れてしまいましたが、『2001年宇宙の旅』を観るために、当時東銀座にあった日本一の70ミリシアターに行ったことを思い出しました。

原題の“GRAVITY”の意味は「重力」です。日本語タイトルの『ゼロ・グラビティ』は「無重力」ですから、ちょうど反対になっています。「無重力」と言うと、宇宙空間の話に限定されてしまいますが、原題の「重力“GRAVITY”」には、「無重力」という意味だけでなく、ラストの地球への帰還というきっと両方の意味が含まれているのでしょう。

お話は、宇宙空間で起こった絶体絶命のピンチからいかにして生還するかというシンプルなものです。メイキング映像で、監督自身が語っているように、これには「人生の困難をいかに克服するか」という暗喩が込められていることは明らかです。それを表現するために、アルフォンソ・キュアロン監督は、頼れるものなど殆どない極限の場を設定し、それを圧倒的なリアリティで視覚にダイレクトに訴えられないかと考えたに違いありません。

スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』も、まさにそういう映画でした。当時はコンピュータ技術などはなく、すべてが光学的な処理を使い特撮が作られていたわけですが、やはり映像は圧倒的で、私はその意図をすぐに理解しました。「これは映画ではない。宇宙を旅したドキュメンタリーだ」と、当時の私は理解しました。

さて、『2001年宇宙の旅』は、ラストに描かれたあるシーンを巡って「難解」だという評価がされてきました。宇宙船ディスカバリー号に搭載された人工知能のHALが反乱を起こし、乗組員は次々に死亡。唯一生き残ったボーマン船長はHALの思考を停止させると、ついに単独で宇宙探査の目的であった巨大なモノリスに遭遇します。すると、まばゆいトンネル状の光りに導かれて、スターチャイルドへと変身を遂げてしまうというものです。

アルフォンソ・キュアロン監督が、このストーリーにオマージュを捧げていたことはおそらく間違いないでしょう。それは、やはり唯一の生き残りとなったライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)が、ソユーズの船内に避難した際に、「胎児」の形をとる映像が長めの秒数で加えられているのを見れば解ります。これは、子宮の胎内に戻ったことを象徴しています。

そう、『2001年宇宙の旅』に出て来るあの「胎児」と同じです。

そして、それからがもっと象徴的です。一時的な脱出用ポッドとして乗り組んだソユーズが向かった先はどこか? 中国の宇宙ステーションであるところの、その名もズバリ「天宮」です。この時、燃料切れを知って絶望するライアンに、起死回生のアイデアを授けるのが、自己を犠牲にすることでライアンを助けようとした同僚のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の幻でした。

彼女はそこで、マットを通じて天啓を受け取るのです。そして希望を取り戻し、「神舟」(つまり神の舟)に乗ることによって、緑の大地である地球に生還を果たします。ラストでは、まるで羊水のような湖底から、アンダーウェアしか着けていない、赤子のような形で力強く地上に再生するのです。

ここに、『2001年宇宙の旅』が示したテーマと同じものが読み取れます。『ゼロ・グラビティ』は、毎日の困難をいかに克服するかという日常生活に対する暗喩とともに、その裏にもっと深い暗喩、つまり「宇宙は一つ」ということ、全部がつながっているという大テーマを秘めています。マットは決して幻ではなく、死んだあとも生きているのです。
『ココ・アヴァン・シャネル(Coco avant Chanel)』
coco

<avant>は、<前の>という意味ですから、<シャネルになる前のココ>という意味なのでしょう。
ココは、ご存知のようにシャネルの愛称。本名はガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)といいます。

シャネルがファッションデザイナーとして成功するずっと前、お針子仕事の傍ら歌手を志してキャバレーで歌っていたのですが、その時の持ち歌が「Ko Ko Ri Ko(コケコッコウ)」と「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」だったことから、ココと呼ばれるようになりました。

ココ・シャネルという人物については20代のころから大いなる興味を抱き、関連本もいくつか読んで来ました。
私が強く惹かれるのは、なんといってもシャネルの才能と意志の強さです。
孤児だった生い立ちや革新的なファッションは、そこに色を付ける道具に過ぎないのかも知れません。

この映画でココを演じたオドレイ・トトゥですが、きっとシャネルに似た女優さんを選んだのでしょう。
黒い大きな瞳と、への字の唇が、まさにシャネルの生き写し。意志の強さが全身に滲み出ています。
ただ可愛いだけの、遊び女には飽きた上流階級の男たちを、たちまち虜にしてしまった理由も頷けます。

それにしても、ファッション界に与えたシャネルの革新性には凄いものがあります。
コルセットを外させただけでなく、マリンルックやジャージー、マニッシュパンツ、ツーピースのスーツもみんなシャネルが最初。
立体裁断も、装身具の大胆な使い方も、そしてあの香水もシャネルが生み出したものです。

映画では、それらが誕生するインスピレーションの瞬間も、余すところなく描いていて、それを見ているだけでも楽しい。
私は、なぜか千利休に匹敵するものをピーンと感じてしまいました。

シャネルは一時期、自分の店を追い出されたり、戦後は対独協力者としてスイスに亡命せざるを得なかったりしましたが、1954年に71歳でカムバックを果たします。このころからのお話を描いたのが、シャーリー・マクレーンが主演した『ココ・シャネル』。
絶えず流行に追われるファッション業界で、71歳でカムバックというのも、素晴らしい才能があったればこそです。